2016年6月7日火曜日

IAリサーチ・ノート 2016/06/07

<IAリサーチ・ノート>、「イスラム過激派とアポカリプティック思想覚書ノート」ととしては3本目の記事になります。
 ・ノート 1
 ・ノート 2 


この「リサーチ・ノート」を開始するようになった引き金は既に書いたように「2015年」に度重なって起こったイスラム過激派による大テロ事件のインパクトでした。

目下は日本国内で同様かそれに近いような事件は起こっていないにしても、グローバルな視野で見たときに、やはり「私たちの世界」で起こっている出来事として認識していなければならないだろうと思います。

「特定秘密保護法」や「安保法改正」がテロ戦争を念頭においていることを考えますと、「頭と心の構え」においては準備をしていることになっているのですが・・・。

さて今回は記事を一つ、動画を一つ紹介しておきましょう。

(1) Graeme Wood, What ISIS Really Wants (『イスラム国が本当に望んでいるのは』) 

 これはもう一年前の論文ですが、よく引用されているようです。基本的に西側のイスラム国の見方が「非イスラム」的に見て来たのに対して修正を迫るものです。
The reality is that the Islamic State is Islamic. Very Islamic. ...But the religion preached by its most ardent followers derives from coherent and even learned interpretations of Islam.

(2) The Secret History of Isis 
 
 アメリカの公共放送PBSのものでまだ新しい。
 イスラム国の誕生がアメリカの政策的失敗が引き起こしたものとして描いています。

 例のイラク戦争開始を正当化する根拠となった大量破壊兵器の存在に関するパウエル国防長官の国連スピーチでザルカウィの名前を連呼したにも拘らず、この番組の中に収録されたインタヴューではパウエル元長官は殆どその記憶がない。

 その他複数の政府高官の証言等で構成されています。

 番組の中に使われている画像にはかなり凄惨なものがあるので注意を促しています。

 音声だけでよい場合は こちらをどうぞ。

2016年6月6日月曜日

ポスト・セキュラー事始

英語の post-secular を「ポスト世俗」に関連して二つ記事をアップしました。

 ポスト世俗と超越

 市民宗教から公共宗教へ

ポストがつく言葉で、このブログでも取り上げたりしている関連事象には、ポストモダン、ポスト・キリスト教などがあります。

主に欧米圏の「宗教と社会」の事象を取り扱う表現として用いられてきたのですが、グローバリゼーションが進んで、非欧米圏の「宗教と社会」の事象も関心対象になってきたようです。

まだこのブログにとっての重要概念である「世俗化」についても十分な整理をしていませんが、ますます用語整理が面倒になってきています。

ポスト・セキュラーはその中でも比較的新しい用語です。

目下は「ポスト世俗」などと訳していますが、あまり響きが良くないので、「ポスト・セキュラー」とカタカナのままにしておいた方が無難かもしれません。

最近オックスフォード大の(キリスト教)神学の教授でグラハム・ウォード(Graham Ward)の音声クリップを聞く機会があり、結構面白いなと思っています。

そしてたまたま「ポスト・セキュラー」について簡単な解説をしている動画ありましたので、ここにメモしておこうと思いました。


ここで紹介されている本が、フィリップ・ブロンドの Post-Secular Philosophy: Between Philosophy and Theology ですが、それによると「ポスト・セキュラー」という表現が使われ始めたのは1990年代後半とのことです。

しかし文化領域でヨーロッパ圏の哲学が盛んに(キリスト教)神学を取り上げるようになるのはその10年や20年前からです。

英国においては前提となる「セキュラー化」が顕著になるのは1960年代になってからで、それまでは文化圏においてのキリスト教の存在感はまだまだ強かったと言っています。(しかし1960年代以降は急速に存在感は薄くなったとも言っています。)

以下、よろしければどうぞ。