2016年3月14日月曜日

オウム真理教: 視点の整理

昨年12月にアップした、オウム真理教について、で少し紹介しましたある会誌に書いたオウム真理教関連で書き溜めたブログ記事のまとめのような文章をこちらにも転載します。



オウム真理教を追って

オウム真理教の前身であるヨーガ教室「オウムの会」(その後「オウム神仙の会」と改称)が活動を始めたとされる1984年、筆者はまだ米国留学中であった。彼らの活動が最初に目に留まったのは、1990年に彼らが真理党を結成して国政(衆議院)選挙に登場したときだった。候補者がみな麻原のお面をかぶり、ショーコーショーコーみたいな歌を歌ってとにかくひどく不真面目な選挙戦をやっていた。(そう言う風にしか見えなかった。)

地下鉄サリン事件が起こったときは、某専門学校で教えていた。ひどい事件であることは分かったが、それほどの恐怖や衝撃は(今から思えば)感じていなかった。その2ヶ月前に起こった阪神淡路大震災の方がはるかにインパクトがあった。それでオウム真理教にはそれ以降余り関心を示さないまま来てしまった。

人々の脳裏からオウム真理教(あるいは地下鉄サリン事件)の記憶が次第に薄れつつあると感じられ始めた2012年、NHKスペシャルの「未解決事件」のファイル2でオウム真理教・地下鉄サリン事件が取り上げられた。ドラマ仕立てで事件のあらすじを再構成したものだった。この番組を見て改めて「オウムの闇」が迫ってきた。それ以降、筆者が管理する『大和郷にある教会』ブログでオウム真理教についての読書や考えたこと等を「オウム真理教ノート」と題して連載するようになった。

まずその記念すべき第1回記事から引用させて頂く。

番組 [NHKスペシャルのこと] を全部見たわけではなく、特に注意して見たわけでもないので、その感想を書くにしても内容的に少々心もとないのだが、しかし一点どうしても気になったことがある。改めてショックを受けたと言うか戦慄を覚えたことである。

それは麻原彰晃と言う常識的にはおよそまともな宗教の指導者となるような器ではない人間の下に「エリート」と呼ばれるような教育的背景を持った者達が集められ、誇大妄想、荒唐無稽な宗教的言語に操られて、弱小集団にはとても分不相応に巨大な「終末的シナリオを持つ」反社会的テロ活動を構想しそしてそれを実行に移した、と言うことである。

番組中に明かされた事件の内容で特にセンセーショナルに響いたのは、オウム真理教の化学兵器工場で実に70トンのサリンを製造しようとした、と言うことである。その量は世界の総人口を上回る70億人を殺せる量だと言う。

麻原と言う如何にも「小物」な人物が着手するには、余りにもアンバランスな巨大化学殺戮兵器製造計画ではないか。
その余りのアンバランスさと、小規模だったとは言え、そのような構想の下に首都直下の地下鉄駅でサリンがまかれた事実に、何かシュールな感覚を覚えた。

 文化祭の見世物のような弱小宗教集団とその一党が企てた「世の終わり」を実現するテロ計画、その間に横たわる余りの落差が事件の「現実」をどのようなスケール感に収めるかを難しくしたように思う。個人的にはそのように受け止めた。

 この「遅れてきた覚醒」以降、ネット以外にも近所の公立図書館で入手可能なオウム真理教関連本を見つけては読み出した。そしてその読後感などを「オウム真理教ノート」として投稿し、最近のエントリー(201588日)で10回を越えたくらいになっている。

 「オウム真理教」について○○○誌に掲載する原稿を頼まれたとき、オウム真理教ウォッチを始めてから今までほぼ3年間の「ノート」をいくつかの「視点」に整理して提示してみたいと思った。それによって○○○誌読者に共感が起こるか違和感が起こるか分からないが、少なくともオウム真理教の問題を考え続けることがそれなりに意味のあることだと指摘できれば今回の責は果たせるものと思っている。

 視点1《科学と宗教》

 地下鉄サリン事件の実行犯の多くが科学者や医者であった事実、またオウム真理教がいわゆる高学歴エリートを惹き付けたことに焦点を当てて「なぜ」を問う論考が当初目立った。筆者が「ノート」で取り上げた中では加藤周一や伊藤乾が代表的だろう。「科学者たち」の理性的な態度、論理的な思考が、オウム真理教の荒唐無稽な企ての前に「なぜ」屈してしまった(取り込まれてしまった)のか、といった辺りを解明しようとする論考と特徴付けられるだろう。

 以下「オウム真理教ノート、2012/7/16」から加藤周一の論考をまとめた文章を引用する。


図書館から借りてきた、鷲巣力編「加藤周一自選集第十巻(1999-2008)」(岩波書店、2010年)に、『オウム真理教遠聞』(1999年)と『「オウム」と科学技術者』(2004年)と言う二つの文章が収められている。

『オウム真理教遠聞』には次のような疑問が投げかけられている。
 ①オウム真理教の教義と大量殺人の行為との関係
 ②信者の中の科学技術者たちがなぜ「非合理的な指導者に帰依したのか」
 ③オウム教団は孤立した現象なのか、それとも世界に類例のあるものなのか

加藤は自らの「科学的合理性」の限界と「宗教的精神現象」が科学から独立した現象であるとの観点から疑問点を整理しているが、とりわけロバート・リフトンの『終末と救済の幻想―オウム真理教とは何か』 (岩波書店、2000年)を参照しながら思索を進めている。

(中略)

 

加藤の関心は科学的な思考や合理的思考を投げ打って狂信的な妄説(神風による米国爆撃機墜落、グールーの空中浮揚)を受け入れる条件とはどんなものか、と言うことに向けられる。
 ①科学技術の目的を定めるのに「実証的接近法や論理的思考」が通用するとは限らない。
 ②科学によって実証的に得られる知識外のことには「非科学的命題を受け入れて、先へ進むほかない。」
 ③科学技術の専門化により専門外のことに対する「理解への努力の放棄」、「合理的思考と実証的態度の忘却」が習慣化する。「科学技術の時代は、必然的に『オカルト』『超能力』『UFO』の流行する時代である。」

『「オウム」と科学技術者』でも加藤の論考の矛先は「国家レベルの非合理的行為遂行に取り込まれる科学技術者の問題」の戯画・縮図としてのオウムである。

東アジア全域への国家神道の強制、ヨーロッパ全土からのユダヤ人の一掃、全知全能とされる独裁者の下での一国社会主義建設、そしていくら探しても見つからぬ大量破壊兵器の脅威を除くためのイラク征伐・・・・・・。
このような「集団の非合理性と科学技術の合理性」とはどう関係するのか。
 ①集団の側は目的遂行のため科学技術者を必要とする。
 ②科学技術者の側は合理的思考の「専門化」と「個室化」。「研究の究極の目的は専門領域外にあるから、それがどれほどばかげたものであっても、それを合理的な立場から批判することがない。

このような関係の上にオウム事件は成立した、と加藤は見る。
再発を防ぐためには、「合理性の個室と非合理な信念の個室との障壁をとり払えばよい。そのためには科学的個室で養われた合理的思考を、いつどこでも徹底的に貫くほかないだろう。」(以上、太字イタリックによる強調はここでの引用で付加した。)

 ここでのコメントは「視点2」以降まで差し控える。ポイントとしてオウム真理教の教義や行動が「非合理的である」と判断する「科学(者)的精神」・・・という視点がどこまで有効か、という問題ではないかと思う。

 視点2《内部者の視点と批判》

 オウム真理教がサリン事件を起こし、実行犯となった者たちの法廷での証言や手記から「教団内部から見た視点」が得られるようになった。筆者はそれらの証言や手記を丹念に読み込み分析するという本格的な究明にはとても手が届かないが、専門研究者の分析を読むだけでなく、内部者の手記を直に読むことも必要であると感じ、いくつか読んでみた。

 実行犯の中では「林郁夫(医者)」、事件には関わらなかったが教団の中でもより内部にいた(が中枢にはいなかった)「野田成人」「高橋英利」「宗形真紀子」らの手記を図書館から借りて読んだ(高橋と宗形のは後に購入した。)

 暫くぶりに投稿した「オウム真理教ノート2014/4/6」では、以下のように「内部者の視点」の必要を綴っている。

 

一応それら9本の記事に目を通してみたのだが、オウム真理教がテロ事件を起こす内的意味連関、あるいは構図を一定程度説得力を持って提示できているのは小説家、しかも『物語り』を意識的に掘り下げて掬い取ってきて小説化する手法を取る、村上春樹ではないかと思う。

しかし筆者が「オウム真理教」について総括するのは時期尚早だと思っている。

と言うのも、オウム真理教ノート 2012/7/30で事件に関わった中心人物の一人、林郁夫の手記が示唆するように、やはり外側からの観察や、インタヴューだけでは十分分からない、当事者の動機や、複雑な意識が、それぞれにあるからだ。

「それぞれに」と言うのは、事件後サリン事件に直接には関わらず、そのため逮捕されず教団に暫く残った者たちが手記を出版しているのだが、それを読むと「オウム真理教」への関わり方がやはり「それぞれ」と思えるからだ。

 オウム真理教、ことに地下鉄サリン事件の成立動機解明、ということに焦点を当てると個々の信者の入信動機や教団との個々人側からのコミットする意味合いは「関連部分」だけが拾われ、後は捨象されることになりやすいが、事件に直接・間接関わらなくてもやはり一宗教教団を成立させる要件(いわば山容で言えば裾野に当たる部分)として把握していく必要がある。(それをするのが視点3宗教学となる。)

 視点1《科学と宗教》で保留したコメントだが、オウム真理教の宗教としての胡散臭さやインチキ性などを「見抜く力」として単なる「科学的合理性」ではなく、「生活世界レベルでの世界観」がどの程度批判的に構築されているか、というポイントがあるのではないかということを「野田成人」と「高橋勝利」を比較しながら「ノート」で指摘した。事件後コメンテーターたちは、オウム信者たちが「なぜ科学(者)的合理性を発揮できなかったのか」といったような議論を展開したが、科学畑出身であっても一旦「宗教的世界観」に身を預けた者にとっては「批判者精神を維持する」ことは難しい相談ではなかったかと思う。林の「殺人」を拒む道徳的感覚や、サリン事件後も教団に残った野田を縛った「グルイズムや終末的世界観」は、科学的合理性と緊張関係にあったのではなく、たとえあったとしても「低位に従属させられていた」と見るべきではないか。内部者の「批判の視座や方向」は、事件後に第三者が分析・検証するときの「批判の視座や方向」とは大いに異なったものになっていたのだ。

 確かに日常的で普通の感覚で「おかしいと気づく」ことはできるが、それらの断片的な気づきや認識はその個人や集団にとって「支配的な世界観とストーリー」に照合して整合性を与えられるため、はじかれたり、抑圧されたり、忘却させられたりするのではなかろうか。むしろそれほど意識的ではないにせよ、恣意的な操作をしながら自分(たち)の「世界観の安定・維持」を図るのであり、そのため安定・維持を損なう気づきや認識は排除されることになるのではなかろうか。

 視点3《宗教学と宗教学者》

 オウム真理教が事件を起こす前、教団がメディアにも取り上げられ始めていた頃、何人かの宗教学者から“持ち上げられた”、という事実があり、地下鉄サリン事件が起こってからそれらの宗教学者たちの「道義的責任」が問われた。そのような批判を展開したのが(メディアには殆ど無名であった)大田俊寛であった。大田が特に批判したのが中沢新一であり、また島田裕巳であった。

 以下大田が自身のウェブサイトでまとめているツイート(ネットSNSの一種でTwitterと呼ばれる発信メディアのメッセージ)から引用するが、大田の自著『オウム真理教の精神史』に寄せられた(ソコツさんという方の)批評・批判に答えているものである。その中でオウム真理教を「宗教学」の研究対象として「参与観察」する限界と問題性と、それを実践した中沢や島田がオウムを“持ち上げる”に至った誤りを指摘している。

ソコツさんが「できる限りの資料収集」ということで何を意味しているのか分からないが、オウムを分析するのに必要十分な資料はすでに揃っており、序章で述べたように、その多くについては私自身も目を通している。また、島田裕巳氏の『オウム』では、そうした資料に基づく考察が展開されている。
むしろ私が主張しているのは、オウムの実態に密着するだけの考察では、「なぜオウムのような宗教がでてきたのか」という根本的な問いには答えられない、ということである。そのため私は、あえて直接的にオウムについて論じず、二〇〇年近く歴史を遡るという、思想史的アプローチを採用した。
そして『オウム真理教の精神史』では、そのようなアプローチに基づき、上述の問いに対する答えを提示している(特に275頁以下)。しかしその妥当性についてはコメントせず、この問いに答えるにはもっとオウムの実態を・・・と批判するのは、本書の趣旨を理解し損ねていると言わざるを得ない。

オウム事件の実態をある程度知っていれば、こうした批判はまったく正反対であることが分かる。実は当時、オウムをフィールドワークの対象として選んだ人類学者(坂元新之輔という戸籍技術史の研究者)がいたが、彼はオウムの修行や世界観に次第に魅了され、その強力な擁護者になってしまった。
また当時の宗教学では、「潜り込み」と呼ばれる強引な参与観察の手法が横行しており、オウムを擁護した中沢新一や島田裕巳は、ともにその実践者であった。そして彼らは、チベット密教の修行やヤマギシ会における自らの体験を踏まえ、オウムの活動を肯定的に評価することになった。

むしろ、オウム事件からわれわれが汲むべき教訓は、きちんとした学問的知識や理論、ディシプリンを習得する以前に盲目的に行われる「フィールドワーク」や「潜り込み」は、特に宗教団体を対象とする場合には、きわめて危険であるということではないだろうか。
以上のように私には、ソコツさんの批判はどれも的を外していると思われるが、本書に対してこうした批判が提起される理由も、実はよく分かる。というのは、95年以前、宗教学者や文化人がどのような理由や仕方でオウムを評価したのかということが、今ではよく分からなくなっているからである。
私は、麻原彰晃と中沢新一や島田裕巳の対談を読み、その内容に強い印象を受けるとともに、オウム問題が日本の宗教学にとって根深いものであることを理解した。しかしながらこれらの資料は、現在では多くの人が読むことのできるような状況にはなっていない。
やはりオウム問題は、多くの宗教学者にとって、できるだけ振り返りたくない、一刻も早く忘れ去りたい対象なのだろう。今回の私のオウム論も、他の宗教学者からの応答はあまり期待できないと考えられる。その意味では、迅速にレビューを寄せてくれたソコツさんに、あらためて感謝したい。/終

次に引用するツイートは、今引用したツイートの中で言及されていた「宗教学の問題」をより具体的端的に、戦後東大宗教学をリードした柳川教授に遡って総括するものである。大田はこのツイートで柳川の学問的手法の限界と脆弱性を指摘し、門下であった中沢や島田の問題の背景として解説している。少し長いがその方が分かりやすいと思うのでそのまま引用する。

そして私の見るところでは、柳川は宗教を、「聖なるものを体験すること」というように、心理主義的に理解してしまっている。その議論には、宗教を社会制度的に見る視点が欠落している。特に、近代の問題について具体的に言えば、「国家の聖性」を問う視点がまったく欠落しているのである。
むしろ、柳川とその弟子たちは当時、宗教学の課題を次のように考えていたのではないだろうか。「近代以前のさまざまな社会においては、宗教が生命力を保っており、そこで人々は、聖性に触れる場(イニシエーション)を維持していた。青年は、宗教を体験することによって成人になったのである。
★しかし近代社会では、世俗化によって宗教の力が減退し、人々は聖性に触れることができなくなっている。ゆえに宗教学は、それがどれほど周縁的なものであっても、未だ活気を保っている宗教を社会のなかから探し出し、ゲリラ的実践によってその活力を社会に伝えるよう努めるべきである」。
「聖性に触れよ」という柳川の扇動に促され、その弟子たちは、カルトを含むさまざまな宗教集団への「もぐり込み」を実践した。中沢新一がチベット密教の世界に飛び込み島田裕巳が山岸会に参画したように。そして、そこから帰ってきた彼らを待ち受けていたのは、オウム真理教という存在であった。
地下鉄サリン事件以前、島田裕巳がオウムを積極的に肯定していたことは広く知られているが、それがもっとも顕著に表れているのは、島田と麻原彰晃の対談においてである。その内容は、『自己を超えて神となれ!』という書籍のなかに、「現代における宗教の存在意義」というタイトルで収録されている。
9111月に行われたこの対談において、島田は、幸福の科学をおかしな宗教として揶揄的に論難する一方、オウムに対しては、既成の仏教が現代の物質的価値観に染め上げられるなか、オウムは現世からの離脱やそれへの抵抗を示しているという点から、肯定的な評価を与えている
また島田は、自分がかつて山岸会に参画した経験があることから、俗世間を捨てて共産的ユートピアを建設したいという気持ちが理解できると語り、同時に現代社会では、若者が大人になるための契機、すなわちイニシエーションが欠けているため、オウムはそれを与えようとしているのではないかと論じる。
若者があるとき精神的な「師」に出会い、彼から「聖なる試練(イニシエーション)」を課せられ、それを乗り越えることによって大人になること──。要するに、表面的に見ればオウム真理教は、島田が柳川宗教学から学び取ったものにきわめて忠実に沿う存在だったのである。
★同じく柳川の弟子であった中沢新一は、麻原彰晃との対談において、日本社会に「聖なる狂気」をもたらすものであるとしてオウムを礼賛したが、その基本的なロジックは、島田裕巳のそれと同一であると見なければならないだろう。
★東京大学の宗教学研究室に在籍していた一員として私が思うのは、われわれにとってオウム事件を総括することとは、かつて柳川によって打ち出され、研究室を支配した特殊なエートスを反省することでなければならないということである。しかし、そうした作業に真摯に着手した人間は、まだ一人もいない。
私自身は、1990年に亡くなった柳川の謦咳に触れたことは一度もなく、柳川を中心とした宗教学研究室の雰囲気がどのようなものであったかについては、 残された書物から想像するしかない。しかし、私の考える限りで、特に反省・修正するべきと思われる事柄は、以下の三点である。
1)「師」を盲目的に崇拝しないこと。これについては以前にも少し書いたことがあるが・・・、宗教学に限らず、現在の日本のアカデミズムは、奇妙の形態の「グルイズム」が至る所に蔓延する世界である。
多くの研究者は、自身の学問上の師や、研究対象の人物を神のように祭り上げ、しばしば「疑似カルト」の様相を呈している。マルクス教、ニーチェ教、柳川教、中沢教と、数えれば切りがない。研究者がオウムを適切に批判できなかったのは、学問の世界がすでにカルト化していたからではないだろうか。
★若者が精神的な「師」に出会い、学びの心を触発されると言えば聞こえは良いが、むしろ日本的風土において往々にして見られるのは、必要な相互批判を欠いた「師弟の癒着」の構造である。こうした構造は実は、学問の着実な発展を大きく阻害してきたのではないだろうか。
(残る二点は省略)

宗教学者の大田は自著『オウム真理教の精神史』でも「近代という時代相における宗教」としてオウム真理教を200年ほどのスパンの「思想史」のフレームで分析しているが、(心理主義的宗教学アプローチに対して)制度主義的宗教学を提唱しそれと合わせて「宗教学の学問的基盤」構築を訴えている。(現実にはその欠如ゆえ今後の構築が課題としている。)筆者は、宗教学の学問としての未熟性を自覚しながらオウム真理教の問題を論じる大田に今後の宗教学の展開を期待したいと思っている。

 視点4《物語りと世界観》

 視点2《内部者の視点と批判》でも少し言及した村上春樹だが、彼が『アンダーグラウンド』(地下鉄サリン事件の被害者たちからの聞き取りを本にしたもの)で提示したように、この問題があらわにしたのは、基本的に「世界観やストーリー」を必要とする人間、という認識ではないかと思う。ゆえにオウム(それに類する社会的リスク)に対抗するためには、破壊的・自滅的なストーリーに対抗する「健全なストーリー」を日常生活を足場にして構築することではないか。村上が『アンダーグラウンド』で試みたのは、事件の被害者たちのストーリーを聞き取りながら、彼らと彼らの家族や職場の人間関係を背景として、彼らの日常生活を織りなすエピソードの中から立ち上がるストーリーを組み上げ、それを「オウム」と対抗させることではなかったか。

 以上のことは実は村上自身が書いていることの受け売りなのだが、多分に説得的な文章なので長くなるがそのまま以下に引用する。

その文章の中で僕が言いたかったのは、地下鉄サリン事件とは、彼らのナラティブと、我々のナラティブの闘いであったの だということです。彼らのナラティブはカルト・ナラティブです。それは強固に設立されたナラティブであり、局地的には強い説得性を持っています。それゆえに多くの知的な若者たちがそのカルトに引き寄せられました。彼らは美しい精神の王国の存在を信じました。そして彼らは我々の暮らす、矛盾に満ちて便宜的な社会を攻撃しました。彼らの目からすれば、それは堕落したシステムであり、破壊すべきものだった。だから彼らは地下鉄を攻撃しました。騒擾(そうじょう)を引き起こすために。彼らは自分たちに与えられたそのナラティブを強く信じていたからです。彼らは自分たちのそのようなナラティブが絶対的に正しく、他のナラティブは間違っており、堕落しており、破壊されるべきものだと思い込まされていました。

 たしかに我々自身、この便宜的で堕落した社会に暮らしている我々自身、ここにあるナラティブは間違っているのではないかと考えることもあります。でも我々には他に選びようもないのです。デモクラシーやら、結婚制度やらにうんざりすることがあったとしても、なんとも仕方ありません。それでなんとかやっていくしかない。もちろんそれらはぜんぜん完璧ではなく、多くの矛盾に満ちているけれど、それらはとにかく歳月をかけて、それなりのテストを受けてきたものです。それが我々の手にしているナラティブです。

 僕は多くの人にインタヴューをすることによって、それらの「普通のナラティブ」を地道に採集していたのだと思います。現実にそこにある、リアルなナラティブを。それらは決して見栄えの良いナラティブではありません。しかし本物のナラティブです。そして僕はそれを『アンダーグラウンド』という本の中にまとめました。そしてその本が刊行されたあとで、教団信者の人々にインタヴューを試みました。彼らは能弁で、進んでいろんなことを語ってくれました。頭もいいし、知的な人々です。いわゆる「一般の人」よりは興味深くもあります。でも彼らがどんなことを語ったのか、僕には今ではよく思い出せません。彼らの話には多くの場合奥行きのようなものがなく、皮相的だった。ちょっと強い風が吹いたら、みんなどこかに飛んでいってしまいそうに思えました。でもいわゆる「一般の人」が話してくれた物語は、きちんとあとに残るんです。そこには本物の重みがあり、本物の中身があります。その話は知的でないかもしれないし、聡明とは言えないかもしれない。ある時には退屈かもしれない。でもそれはちゃんとあとに残るんです。全部で六十人以上の人々にインタヴューをしたあとで、僕はそのことに気づきました。 彼らの話しはどれも、僕の心に、頭に、魂に残っています。僕がその経験から学んだことは、物語というのは、たとえ見栄えが悪く、スマートでなくても、もしそれが正直で強いものであれば、きちんとあとまで残るのだということでした。
(『夢を見るために 毎朝僕は 目覚めるのです』村上春樹インタヴュー集1997-2011362-363ページ)

 地下鉄サリン事件のようなテロ再発防止には、事件を企てたオウム真理教首謀者たちの動機を解明しそこから何らかの教訓を引き出すことや、破防法等による危険宗教団体の監視・規制を強化する、そういうレベルの対策もある。しかしそれだけでは足らない、と村上は指摘しているのだろう。村上の指摘には、オウム真理教団を「他者」として排除するだけでは解決にはならず、オウムを生んだ社会自体の脆弱性にこそ目を向けるべきだ、という洞察があるように思われる。
 
終わりに

 以上ここ3年ほどに書き溜めた「オウム真理教ノート」を4つの視点、ということでまとめてみた。

 《科学と宗教》《内部者の視点と批判》《宗教学と宗教学者》《物語りと世界観》のどれもそれぞれ有効な視点である。筆者としては特に第4の視点《物語りと世界観》に関心が深い。2015年はイスラム過激派テロ事件が幾つも起こり、特にイスラム国が「終末思想」を前面に出してグローバル・ジハードを推し進めていることが西側諸国にも自覚されるようになった。テロリストたちの「思想・イデオロギー」の側面が果たして単に取って付けたような性格のものなのか、それとも自作自演の舞台を世界大に広げて西側諸国を巻き込もうとしているのか。なかなか分析に難しい情況を呈している。いずれにしても、イスラム国の展開する戦略はオウム真理教と重なる部分がありそうだ。宗教はイスラムだが、大きなパラダイムはオウムと同じく「近代と宗教」と捉えることができるのではないかと思う。

 「N.T.ライト読書会」を主宰する筆者としては、ライトの西洋キリスト教批判、「創造から新創造」というフレームで行う原始キリスト教再解釈に注目してきたし今後も注目して行く。しかし同時に「神の国」を標榜する大小さまざまな宗教的源泉を持つ過激なそしてしばしば暴力的な運動が乱立する現状では、「神の国」の福音を打ち出すキリスト教会はその福音が持つ政治的コノテーション(含意)に自覚的でなければならないだろう。また雨後の筍然新興宗教がカルト化しては消えて行く「現代」の諸相にも注目していかなければならないと思う。村上の指摘が当を得ているとすれば、陳腐な救済ボキャビュラリーを反復したり、戯画を見るようなユートピアン「天国」を福音の中心に据えるようなメッセージはやわなキリスト教再解釈運動として見捨てられるだろう。そんなことに現を抜かすより「終わりなき日常」に耐えるための地道な実践の取組みや日常に足場を置く物語りを紡ぎだすことに時間とエネルギーを向けるだろう。

 そのような現代的文脈を睨みながら今後も「オウム真理教ノート」を継続するとともに、「イスラム過激派と終末・黙示思想」(そしてカルト問題)とも関連させながらウォッチしていこうと考えている。