2016年12月27日火曜日

The Line Between Religion and Magic

The line between religion and magic, I learned in school, isn’t clear. But many scholars of religion agree that one important division is that while magic is private and crisis-oriented, religion is public and its rituals have no specific, short-term, earthly goals.
As a Catholic, she explores ways to cope with sufferings through prayer and confessions.
 
But throughout this all she ponders over the medal with broken clasp. Fixing it was in the back of her mind but she never did.
 
I guess, the medal represents the magic part in this reflection.
For a while during the long, hot summer I entertained the superstitious idea that things would not look up for my family until I had the clasp of my medal repaired. I did not think I was being punished for breaking it, but I thought I had damaged some trust by doing that, and that I couldn’t fix it until I did some penance by way of cost and trouble.
She, at least, entertained some magical ways of coping, it seems.
 
 
 
Along the way, she's dealing with the question of "losing faith," too.

What does it mean to lose faith for a well-educated Catholic?
 
I guess she's dealing with this question against the backdrop of, possibly, postmodern situation.
In my dream, I wandered down the aisle of some kind of noisy, crowded theater. At the front, where a stage should have been, were confessionals. I went inside one to repent and there was no priest there, only a screen with the face of a priest. I said to him: “Father, I’ve lost my faith.”

All in all, Elizabeth gave us an interesting story to think about. 
 
Thankfully, it's without much heavy theological discussion-though she's capable of doing that way if she so chooses.

Story-telling rather than theologizing. Isn't it more postmodern thing to do?

2016年12月15日木曜日

Religiocification、とは何か?

聞いたことありますか?

Religiocification、は名詞形ですから、動詞であれば、religiocificate、となるでしょうがいずれにしても辞書に登録されていることばではありません。 


「religiocification」をググルと気がつくように、シカゴ大のマーティン・マーティー教授が長年に渡り「アメリカの政治社会(公共圏)に姿を現す“宗教的装い”」現象を叙述するのに用いてきた造語です。

とまあ、そうは書きましたが)まだそんなまとまった風に書けるほど関連記事を読んだわけではありません。 

たまたまマーティー教授が自身の名前を冠した研究所(シカゴ大のMartin Marty Center)が発行するオンライン誌
Sightings (Religion in Public Life)」 
に「2016年を振り返って」まとめている記事、The Religiocification of Hate、(2016年12月12日)に使っていて「ほー、どんなニュアンスなんだろう?」と思ったことがきっかけでこの記事を書こうと思った次第です。

2016年は「憎しみ」の年!!

さて、マーティー教授は「今年は憎しみ(hate)が取り分け目立った年だった」と振り返りながら「憎しみ」の病理的な性格がどのようなメカニズムを持つか二人の識者の洞察を改めて紹介します。
For the second time in this year of hatreds—and the third in 15 months—we quote Else Frenkel-Brunswick, specialist on the “ethnocentric personality,” who observed that in the case of the hater, “even his hate is mobile and can be directed from one object to another”; and John Dewey, who noted that people “do not shoot because targets exist, but they set up targets in order that throwing and shooting may be more effective and significant.”
(1)エルゼ・フレンクル-ブランズウィック・・・憎しみはターゲットを特定しない。憎しみの矛先は浮動的だ。
(2)ジョン・デューイ・・・人々が憎しみを表に出して(誰かに)ぶつけるのは対象となる相手が存在するからではなく、ぶつけることによって憎しみが威力を発揮し意義深くなるからだ。

それからピュー・宗教調査センターの「差別」に関する調査結果の数字を関連させるのですが、
 ・モスレム、82%
 ・黒人、76%
 ・同性愛者、76%
というようになっていくわけですが、特にモスレムへの差別が目立って増加した(前年比12%増)ことを受けて「差別→憎しみ→浮動的」と捉えたみたいです。


さて実は筆者にとっての今回の記事の本題は、人種差別とか宗教に絡んだヘイトではなく、「religiocification」の用い方なのです。

この用語を使う方はマーティー教授の他に余り見られないので個人的専門用語として置けばいいのかもしれませんが、せっかくですからマーティー教授が他のどんな現象にこの語を使っているか簡単に見てみたいと思います。(以下は順不同、ランダムです。)

 (1)政治権力崇拝the worship of political power, the religiocification of patriotism )
 (2)黒人宗教指導者による公民権運動
 (3)米大統領就任式the "religiocification"of the presidential transition)

などです。


以上の使い方から見られるのは、政教分離政策を取る米国において、公共圏での「宗教的」な面がかなり目立つようになる現象を特に「religiocification」を使って注目するのだと思います。

※つまり世俗化するヨーロッパと少し異なり、米国では宗教が公共圏にしっかり付着してくる事象が結構多いんだよ、ということでまさに「サイティングス」の必要を主張しているみたいですね。

ということで締めくくりをしますと、The Religiocification of Hate、とは本来浮動的なヘイトが今年は特に(宗教グループである)モスレムに際立って向かった年だった、ということになるかと思います。

※以下はオマケです。(ある方がドイツ語のSakralisierungに相当する英語を探している、という質問サイトでのやりとりです。それを見るとsanctificationなどに並んでマーティー教授の造語であるreligiocificationを連想したのですね。


[おまけ]

Sakralisierung?

Actually, I have not even found an exact German word, but it is about: to make something "sacred" (= with religion related), i.e. With religion. See also "secular" - "secularization"
I do not know if it would be called in German "sacrification", "sacralization" or "sacralization" or so ...
Is there a word in English (preferably AE)? Or how would the word "tinker"
"Sacrification"? "Sacralization" or something else?

religiocification
M. E. Marty, A Nation of Behavers, Chicago, University of Chicago Press, 1976, p. 14.
"the religiocification of secular humanism"
See also http://books.google.com/books?id=Q8OclZWNgE0C...

Martin E. Marty, "Context", January 1, 2002, Volume 34, Number 1.
Sometimes people from the world of science resist the religiocification of science in
the name of both science and religion. Here Jerome Groopman, M.D. writes on the
“curious coupling of science and religion”:
http://www.contextonline.org/samples/ct020101.pdf

Martin E. Marty, "We're no Holier for our Holy War", New York Times, July 22, 1981
.2,2CHICAGO - One year into its holy war, the United States, is not, and stands small chance of becoming, a holier, happier, more civil, or more moral nation. Last summer, during the election campaign, citizens began to see what in the black movement used to be called the ''religiocification'' of politics. Now, the unpromising language of the crusade or jihad corrupts the news media and disrupts society. It is time for a cease-fire.
http://topics.nytimes.com/top/reference/times... 


This is a neologism that Marty ascribes to Alfred B. Cleage. It probably expresses what you want. A Google search reveals 38 hits, and all of them seem to stem from Martin E. Marty.

Another possibility: desecularization (once you've established what you mean by "secularization")

"sacralization" is a possibility but also refers to ossification of the sacrum. I suffer from partial sacralization because the left side of my sacrum has fused to my pelvis.

"sanctification" refers to the process of making something holy (@#4 one "c" too many) 

2016年11月8日火曜日

宗教と文化(メディア)と政治

聖書が語る(?)ものとして過激に映像化されてきた(sensationalized)のが「携挙(ラプチャー/rapture)」であろう。

映像化されるような元となった「神学」はディスペンセーショナリズムと呼ばれる19世紀の産物である。(簡単な背景説明として、新約聖書学者、ベン・ワイザリントンの動画をご覧ください。)



もとは「米国の保守的キリスト教の一グループの聖書解釈/神学」は、しかしD・L・ムーディーなどのリバイバリズム(19世紀の信仰復興)運動によってどんどん拡がっていった。

この「宗教的うねり」は20世紀に入り政治の世界にも浸透していった。(例として、ビリー・グラハムと歴代大統領、最近の研究としてマシュー・A・サットンの、American Apocalypse: A History of Modern Evangelicalism、がある。)

今や「ビリー・グラハム」といっても「それって誰?」という人の方が多くなってきたかもしれないが、かつて「アメリカの偉大な伝道者」として登場してきた1950年代の頃(冷戦時代の始まりの頃)、
クルセードで盛んに「携挙」の時期を予測していたのですね・・・。

政治の世界だけでなく「映画産業」という文化、エンターテイメント・メディアにもどんどん浸透していった。

「携挙」イメージのヘビー・ユースは「黙示録的終末」のテーマとともにもはやハリウッド(ホラー)映画の常連の観がある。(アポカリプティック映画リストというウィキ項目で1950年代以降のものを十年毎に区切ってリストアップしている。)

「携挙」イメージは、もとはといえば極めて限られたものであったのが、様々なメディアを通して今や一般の人にもかなり「共有される文化」になったといっても過言ではないだろう。

たとえば簡単な動画クリップの「携挙」だとこんな感じになる。



「携挙」はまた格好の悪戯のアイデアともなる。




たまたまこんなことを検索していた時に見つけました。

テレビや映画などの「メディアとキリスト教保守主義・福音主義」や「メディアと保守政治」のつながりを研究している

ヘザー・ヘンダーショットさん。

現在はMIT(マサチューセッツ工科大)の「比較メディア研究」教授をしています。


2004年には『イエスのために世界を揺らす: メディアとキリスト教保守福音主義』という本を書いています。(Shaking The World For Jesus、シカゴ大学出版)



2004年当時はニューヨーク市立大で教えていましたが、世俗メディア(映画)にキリスト教の(サブカルチャー・テーマである)「携挙/アポカリプティック」が浸透するプロセスを分析しようとしています。


個人的には関心があってもこの辺のことを研究対象とするのはとても大変な感じがします。

でも「宗教とメディアの関係」研究はもっと必要でしょうね。

2016年10月28日金曜日

イスラーム主義活道家

日本においてイスラームという宗教はまだまだ未知な部分が多い。

たとえばキリスト教について殆どの人は(キリスト教の)聖書を読めばその大要が分かると思う人は多いかもしれない。

ところが聖書に書いてある「イエスの愛についての教え」と、実際に出会うクリスチャンが全くそんなでないと、どっちを規準にキリスト教を理解するかと云うと・・・やはり「聖書」の規準でしょうね。

その結果「誰々さんはクリスチャンとか言ってるけど、まったくらしくない・・・」とか言うようなことになりかねない。

でも実際にクリスチャンだと自称する人たちの言動や生活から「あー、クリスチャンとはこう言う人たちなんだ」とキリスト教を理解することも十分ありだと思います。


「キリスト教」とか「イスラーム教」とかという《アイデア・理念上の産物》と、それを奉ずる人々の多様なあり方の間のある意味「不一致(discrepancy)」現象は、世界が多文化共生社会になってきてより実際的に悩ましい問題になってきたように思います。


先日(2016年10月21日)、朝日新聞が朝刊で「イスラムと欧米」というインタヴュー記事を掲載しました。

  (※記事についてはもちろん朝日デジタルで読めますが、自分のブログに全文掲載している方もいます。)

インタヴューの相手はタリク・ラマダンさんという「イスラム思想家」です。

聞き手は朝日のGLOBE編集長の国末憲人さん。

ラマダン氏はムスリムが欧米市民社会の一員としてもっと対等の意識で「相互をリスペクトする」必要があり、そのためには「寛容を受ける対象」としてではなく、もっと「ムスリムとしてのアイデンティティー」を主張することが必要だ、との持論のようです。

その一つの例として「ブルキニ」問題が取り上げられたのですが、以下のような応答になっています。
 「これは、アイデンティティーの摩擦ではなく、ムスリムが存在感を示してきたことの証左にすぎません。彼らの存在が可視化され、『我ここにあり』と主張できるようになった。失敗の印でなく、逆にムスリムが欧州社会に溶け込み、成功した証しです」
 ――欧州社会、特にフランスでは、多くのムスリムが世俗的な生活になじんでいます。イスラム教のアイデンティティーを保て、とのあなたの呼びかけは、宗教回帰を目指す試みになりませんか。
 「違います。ムスリムがムスリムであり続けよ、といっているだけです。彼らがイスラム教から離れることを望む人が『イスラム回帰だ』と騒いでいるだけではないでしょうか」

このインタヴュー対して、国末編集長はこちらでも紹介した東大のイスラーム学者・池内恵教授にに「セカンド・オピニオン」を求めています。

そこで彼はブルキニ問題に関してこんなことを言っています。
 ブルキニ問題も、単に服装の自由とのみ見るべきではありません。背景にあるのは「男性は身内の女性を所有し、保護する義務と同時に監督・支配する権利を持つ」というイスラム社会に根強い発想です。イスラム教のもとで、女性と男性は、平等ではありません。ブルキニを着る「自由」は、西欧社会にイスラム的な男女・家族関係を持ち込みます。
 その点をムスリムに指摘すると「イスラムへの差別だ」と反論します。でも、ムスリムとイスラム教をすり替えてはなりません。近代的な人権規範の下では、人としてのムスリム差別は許されませんが、イスラム教の宗教規範を批判する権利は認められるべきです。

この指摘については「なるほど」と思いました。

ライシテとブルキニでも「リベラルな視点」から見る「ブルキニ問題」を取り上げたのですが、「(他)宗教への寛容」として見た場合、「ブルキニを着る自由」は守られるべきであり、ブルキニ着用禁止は「自由への侵害」だ、となります。

欧米の価値観から見たときに「ブルキニ着用の自由」の問題に見えるが、イスラムの価値観から見たときに「ブルキニ着用は女性差別の保護」になる、と云うねじれ構造になるのでしょうね。

なかなか単純ではない。複眼的に捉える必要があることを池内教授の「セカンド・オピニオン」は示していると思います。


欧米社会で「マイノリティー」であるムスリムの自由や権利を擁護すること(欧米のリベラル派が一生懸命になる傾向)と、そのマイノリティー社会の中での女性や少数者の権利を擁護すること(人権活動家たちが一生懸命になること)とを区別して考える必要があることを示したのが以下のオックスフォード大でのディベートです。

左側がラマダン氏で、右側がイラン出身の「前ムスリム」でイスラム社会での少数者の言論の自由抑圧を訴えるマルヤム・ナマージー氏です。


2016年8月25日木曜日

ライシテとブルキニ

ご存知のように多発しているテロの余波か、もともとライシテ政策を取っているところに、夏フランスの幾つかの海岸で「ブルキニ」と呼ばれるイスラームの女性用の全身を覆ったスイムウェアーの女性たちに対してこの着用を禁止する措置が取られているようです。

あまりに過敏な反応のように思えるので、こんなデモもとられています。
そう、カトリックのシスターたちが「宗教的服装」をして海岸で「指導するならしてみなさいよ」と抗議しているのですね。

2016年6月7日火曜日

IAリサーチ・ノート 2016/06/07

<IAリサーチ・ノート>、「イスラム過激派とアポカリプティック思想覚書ノート」ととしては3本目の記事になります。
 ・ノート 1
 ・ノート 2 


この「リサーチ・ノート」を開始するようになった引き金は既に書いたように「2015年」に度重なって起こったイスラム過激派による大テロ事件のインパクトでした。

目下は日本国内で同様かそれに近いような事件は起こっていないにしても、グローバルな視野で見たときに、やはり「私たちの世界」で起こっている出来事として認識していなければならないだろうと思います。

「特定秘密保護法」や「安保法改正」がテロ戦争を念頭においていることを考えますと、「頭と心の構え」においては準備をしていることになっているのですが・・・。

さて今回は記事を一つ、動画を一つ紹介しておきましょう。

(1) Graeme Wood, What ISIS Really Wants (『イスラム国が本当に望んでいるのは』) 

 これはもう一年前の論文ですが、よく引用されているようです。基本的に西側のイスラム国の見方が「非イスラム」的に見て来たのに対して修正を迫るものです。
The reality is that the Islamic State is Islamic. Very Islamic. ...But the religion preached by its most ardent followers derives from coherent and even learned interpretations of Islam.

(2) The Secret History of Isis 
 
 アメリカの公共放送PBSのものでまだ新しい。
 イスラム国の誕生がアメリカの政策的失敗が引き起こしたものとして描いています。

 例のイラク戦争開始を正当化する根拠となった大量破壊兵器の存在に関するパウエル国防長官の国連スピーチでザルカウィの名前を連呼したにも拘らず、この番組の中に収録されたインタヴューではパウエル元長官は殆どその記憶がない。

 その他複数の政府高官の証言等で構成されています。

 番組の中に使われている画像にはかなり凄惨なものがあるので注意を促しています。

 音声だけでよい場合は こちらをどうぞ。

2016年6月6日月曜日

ポスト・セキュラー事始

英語の post-secular を「ポスト世俗」に関連して二つ記事をアップしました。

 ポスト世俗と超越

 市民宗教から公共宗教へ

ポストがつく言葉で、このブログでも取り上げたりしている関連事象には、ポストモダン、ポスト・キリスト教などがあります。

主に欧米圏の「宗教と社会」の事象を取り扱う表現として用いられてきたのですが、グローバリゼーションが進んで、非欧米圏の「宗教と社会」の事象も関心対象になってきたようです。

まだこのブログにとっての重要概念である「世俗化」についても十分な整理をしていませんが、ますます用語整理が面倒になってきています。

ポスト・セキュラーはその中でも比較的新しい用語です。

目下は「ポスト世俗」などと訳していますが、あまり響きが良くないので、「ポスト・セキュラー」とカタカナのままにしておいた方が無難かもしれません。

最近オックスフォード大の(キリスト教)神学の教授でグラハム・ウォード(Graham Ward)の音声クリップを聞く機会があり、結構面白いなと思っています。

そしてたまたま「ポスト・セキュラー」について簡単な解説をしている動画ありましたので、ここにメモしておこうと思いました。


ここで紹介されている本が、フィリップ・ブロンドの Post-Secular Philosophy: Between Philosophy and Theology ですが、それによると「ポスト・セキュラー」という表現が使われ始めたのは1990年代後半とのことです。

しかし文化領域でヨーロッパ圏の哲学が盛んに(キリスト教)神学を取り上げるようになるのはその10年や20年前からです。

英国においては前提となる「セキュラー化」が顕著になるのは1960年代になってからで、それまでは文化圏においてのキリスト教の存在感はまだまだ強かったと言っています。(しかし1960年代以降は急速に存在感は薄くなったとも言っています。)

以下、よろしければどうぞ。

2016年4月19日火曜日

新研究トピック:信仰進化

「信仰進化」とは日本語としては殆ど通じない造語だと思う。

「進化論」に対する「宗教・信仰」のことかといらぬ誤解を招かぬようまず簡単な解説をしておこう。

「信仰進化」とは、「信仰は進化する」と云う命題をつづめた造語のつもりだ。

「信仰進化」のもともとのアイデアは、筆者が Graduate Theological Union で学んでいたときに遡ると思うが、 ロバート・ベラー Beyond Belief というベラーの初期論文集に収められていた "Religious Evolution" からきている。


Religious Evolution は人類史上における「宗教」の起源とその進化に関するマクロな概観であり、試論とも序論ともいえるものだ。
(ベラーの最後の著作となった Religion in Human Evolution に集大成したわけだ。)

この論文の中で筆者の「信仰進化」のアイデアの端的なインスピレーションとなった箇所があるので、先ず引用しておく。
It is not the ultimate conditions, or, in traditional language, God that has evolved, or is it man in the broadest sense of homo religiosus....
  Neither religious man nor the structure of man's ultimate religious situation evolves, then, but rather religion as symbol system. (Beyond Belief, p.21 強調は筆者)
ここでベラーが言おうとしているのは、人間の宗教性とかその宗教性の根拠となるあるいは対象となる「神」といったものが「進化・発展」するのではなく、(変化する環境に伴って)その宗教性なり根拠・対象を「表わす象徴システム」が進化するのだ、ということだと思います。

 その点に留意しながら人類史の宗教変化を「未開」から順に「モダン」まで概観していこう、というわけです。


 筆者の関心はそのごく一部であり、また関心事も「変化そのものを否定的・悲観的に捉えなくてもよい」視点なりがあるのではないか、ということを提案することです。

 ベラーが同論文の最後で、
  Construction of a wide-ranging evolutionary scheme like the one presented here is an extremely risky enterprise. Nevertheless such efforts are justifiable if, by throwing light on perplexing developmental problems, they contribute to modern man's efforts at self-interpretation. (Beyond Belief, p.43 強調は筆者)
と結んでいる中にある perplexing developmental problems のいわばミクロのレベルでの「信仰遍歴」事象を取り上げてみたい、リサーチの対象としてみたいと思ったわけです。

と前置きと導入はここまでにして、実際どんなことを事象とするのかということでご紹介すると、既に『大和郷にある教会』ブログで取り上げているのですが、名前もズバリEvolving In A Monkey Townという本を書いたレイチェル・ヘルド・エバンスです。

その記事では「信仰遍歴」が「進化論」「ディスペンセーショナリズム」等との関係で述べられていますが、信仰内容が単に「キリスト教内」で変化して行く問題だけでなく(その場合は教派・宗派間移動で済みますが)、オプションとしては「懐疑主義」「不可知論」「無神論」もあり、さらに他宗教もあります。

ベラーは「宗教進化」に関しての一般理論構築に関心があったようですが、筆者はあくまでも(少なくとも取っ掛かりは)個別事象を「信仰進化」という観点から取り扱ってみたときにどんなことが言えるか、に過ぎません。


というところで一回目はおしまい。


2016年3月14日月曜日

オウム真理教: 視点の整理

昨年12月にアップした、オウム真理教について、で少し紹介しましたある会誌に書いたオウム真理教関連で書き溜めたブログ記事のまとめのような文章をこちらにも転載します。



オウム真理教を追って

オウム真理教の前身であるヨーガ教室「オウムの会」(その後「オウム神仙の会」と改称)が活動を始めたとされる1984年、筆者はまだ米国留学中であった。彼らの活動が最初に目に留まったのは、1990年に彼らが真理党を結成して国政(衆議院)選挙に登場したときだった。候補者がみな麻原のお面をかぶり、ショーコーショーコーみたいな歌を歌ってとにかくひどく不真面目な選挙戦をやっていた。(そう言う風にしか見えなかった。)

地下鉄サリン事件が起こったときは、某専門学校で教えていた。ひどい事件であることは分かったが、それほどの恐怖や衝撃は(今から思えば)感じていなかった。その2ヶ月前に起こった阪神淡路大震災の方がはるかにインパクトがあった。それでオウム真理教にはそれ以降余り関心を示さないまま来てしまった。

人々の脳裏からオウム真理教(あるいは地下鉄サリン事件)の記憶が次第に薄れつつあると感じられ始めた2012年、NHKスペシャルの「未解決事件」のファイル2でオウム真理教・地下鉄サリン事件が取り上げられた。ドラマ仕立てで事件のあらすじを再構成したものだった。この番組を見て改めて「オウムの闇」が迫ってきた。それ以降、筆者が管理する『大和郷にある教会』ブログでオウム真理教についての読書や考えたこと等を「オウム真理教ノート」と題して連載するようになった。

まずその記念すべき第1回記事から引用させて頂く。

番組 [NHKスペシャルのこと] を全部見たわけではなく、特に注意して見たわけでもないので、その感想を書くにしても内容的に少々心もとないのだが、しかし一点どうしても気になったことがある。改めてショックを受けたと言うか戦慄を覚えたことである。

それは麻原彰晃と言う常識的にはおよそまともな宗教の指導者となるような器ではない人間の下に「エリート」と呼ばれるような教育的背景を持った者達が集められ、誇大妄想、荒唐無稽な宗教的言語に操られて、弱小集団にはとても分不相応に巨大な「終末的シナリオを持つ」反社会的テロ活動を構想しそしてそれを実行に移した、と言うことである。

番組中に明かされた事件の内容で特にセンセーショナルに響いたのは、オウム真理教の化学兵器工場で実に70トンのサリンを製造しようとした、と言うことである。その量は世界の総人口を上回る70億人を殺せる量だと言う。

麻原と言う如何にも「小物」な人物が着手するには、余りにもアンバランスな巨大化学殺戮兵器製造計画ではないか。
その余りのアンバランスさと、小規模だったとは言え、そのような構想の下に首都直下の地下鉄駅でサリンがまかれた事実に、何かシュールな感覚を覚えた。

 文化祭の見世物のような弱小宗教集団とその一党が企てた「世の終わり」を実現するテロ計画、その間に横たわる余りの落差が事件の「現実」をどのようなスケール感に収めるかを難しくしたように思う。個人的にはそのように受け止めた。

 この「遅れてきた覚醒」以降、ネット以外にも近所の公立図書館で入手可能なオウム真理教関連本を見つけては読み出した。そしてその読後感などを「オウム真理教ノート」として投稿し、最近のエントリー(201588日)で10回を越えたくらいになっている。

 「オウム真理教」について○○○誌に掲載する原稿を頼まれたとき、オウム真理教ウォッチを始めてから今までほぼ3年間の「ノート」をいくつかの「視点」に整理して提示してみたいと思った。それによって○○○誌読者に共感が起こるか違和感が起こるか分からないが、少なくともオウム真理教の問題を考え続けることがそれなりに意味のあることだと指摘できれば今回の責は果たせるものと思っている。

 視点1《科学と宗教》

 地下鉄サリン事件の実行犯の多くが科学者や医者であった事実、またオウム真理教がいわゆる高学歴エリートを惹き付けたことに焦点を当てて「なぜ」を問う論考が当初目立った。筆者が「ノート」で取り上げた中では加藤周一や伊藤乾が代表的だろう。「科学者たち」の理性的な態度、論理的な思考が、オウム真理教の荒唐無稽な企ての前に「なぜ」屈してしまった(取り込まれてしまった)のか、といった辺りを解明しようとする論考と特徴付けられるだろう。

 以下「オウム真理教ノート、2012/7/16」から加藤周一の論考をまとめた文章を引用する。


図書館から借りてきた、鷲巣力編「加藤周一自選集第十巻(1999-2008)」(岩波書店、2010年)に、『オウム真理教遠聞』(1999年)と『「オウム」と科学技術者』(2004年)と言う二つの文章が収められている。

『オウム真理教遠聞』には次のような疑問が投げかけられている。
 ①オウム真理教の教義と大量殺人の行為との関係
 ②信者の中の科学技術者たちがなぜ「非合理的な指導者に帰依したのか」
 ③オウム教団は孤立した現象なのか、それとも世界に類例のあるものなのか

加藤は自らの「科学的合理性」の限界と「宗教的精神現象」が科学から独立した現象であるとの観点から疑問点を整理しているが、とりわけロバート・リフトンの『終末と救済の幻想―オウム真理教とは何か』 (岩波書店、2000年)を参照しながら思索を進めている。

(中略)

 

加藤の関心は科学的な思考や合理的思考を投げ打って狂信的な妄説(神風による米国爆撃機墜落、グールーの空中浮揚)を受け入れる条件とはどんなものか、と言うことに向けられる。
 ①科学技術の目的を定めるのに「実証的接近法や論理的思考」が通用するとは限らない。
 ②科学によって実証的に得られる知識外のことには「非科学的命題を受け入れて、先へ進むほかない。」
 ③科学技術の専門化により専門外のことに対する「理解への努力の放棄」、「合理的思考と実証的態度の忘却」が習慣化する。「科学技術の時代は、必然的に『オカルト』『超能力』『UFO』の流行する時代である。」

『「オウム」と科学技術者』でも加藤の論考の矛先は「国家レベルの非合理的行為遂行に取り込まれる科学技術者の問題」の戯画・縮図としてのオウムである。

東アジア全域への国家神道の強制、ヨーロッパ全土からのユダヤ人の一掃、全知全能とされる独裁者の下での一国社会主義建設、そしていくら探しても見つからぬ大量破壊兵器の脅威を除くためのイラク征伐・・・・・・。
このような「集団の非合理性と科学技術の合理性」とはどう関係するのか。
 ①集団の側は目的遂行のため科学技術者を必要とする。
 ②科学技術者の側は合理的思考の「専門化」と「個室化」。「研究の究極の目的は専門領域外にあるから、それがどれほどばかげたものであっても、それを合理的な立場から批判することがない。

このような関係の上にオウム事件は成立した、と加藤は見る。
再発を防ぐためには、「合理性の個室と非合理な信念の個室との障壁をとり払えばよい。そのためには科学的個室で養われた合理的思考を、いつどこでも徹底的に貫くほかないだろう。」(以上、太字イタリックによる強調はここでの引用で付加した。)

 ここでのコメントは「視点2」以降まで差し控える。ポイントとしてオウム真理教の教義や行動が「非合理的である」と判断する「科学(者)的精神」・・・という視点がどこまで有効か、という問題ではないかと思う。

 視点2《内部者の視点と批判》

 オウム真理教がサリン事件を起こし、実行犯となった者たちの法廷での証言や手記から「教団内部から見た視点」が得られるようになった。筆者はそれらの証言や手記を丹念に読み込み分析するという本格的な究明にはとても手が届かないが、専門研究者の分析を読むだけでなく、内部者の手記を直に読むことも必要であると感じ、いくつか読んでみた。

 実行犯の中では「林郁夫(医者)」、事件には関わらなかったが教団の中でもより内部にいた(が中枢にはいなかった)「野田成人」「高橋英利」「宗形真紀子」らの手記を図書館から借りて読んだ(高橋と宗形のは後に購入した。)

 暫くぶりに投稿した「オウム真理教ノート2014/4/6」では、以下のように「内部者の視点」の必要を綴っている。

 

一応それら9本の記事に目を通してみたのだが、オウム真理教がテロ事件を起こす内的意味連関、あるいは構図を一定程度説得力を持って提示できているのは小説家、しかも『物語り』を意識的に掘り下げて掬い取ってきて小説化する手法を取る、村上春樹ではないかと思う。

しかし筆者が「オウム真理教」について総括するのは時期尚早だと思っている。

と言うのも、オウム真理教ノート 2012/7/30で事件に関わった中心人物の一人、林郁夫の手記が示唆するように、やはり外側からの観察や、インタヴューだけでは十分分からない、当事者の動機や、複雑な意識が、それぞれにあるからだ。

「それぞれに」と言うのは、事件後サリン事件に直接には関わらず、そのため逮捕されず教団に暫く残った者たちが手記を出版しているのだが、それを読むと「オウム真理教」への関わり方がやはり「それぞれ」と思えるからだ。

 オウム真理教、ことに地下鉄サリン事件の成立動機解明、ということに焦点を当てると個々の信者の入信動機や教団との個々人側からのコミットする意味合いは「関連部分」だけが拾われ、後は捨象されることになりやすいが、事件に直接・間接関わらなくてもやはり一宗教教団を成立させる要件(いわば山容で言えば裾野に当たる部分)として把握していく必要がある。(それをするのが視点3宗教学となる。)

 視点1《科学と宗教》で保留したコメントだが、オウム真理教の宗教としての胡散臭さやインチキ性などを「見抜く力」として単なる「科学的合理性」ではなく、「生活世界レベルでの世界観」がどの程度批判的に構築されているか、というポイントがあるのではないかということを「野田成人」と「高橋勝利」を比較しながら「ノート」で指摘した。事件後コメンテーターたちは、オウム信者たちが「なぜ科学(者)的合理性を発揮できなかったのか」といったような議論を展開したが、科学畑出身であっても一旦「宗教的世界観」に身を預けた者にとっては「批判者精神を維持する」ことは難しい相談ではなかったかと思う。林の「殺人」を拒む道徳的感覚や、サリン事件後も教団に残った野田を縛った「グルイズムや終末的世界観」は、科学的合理性と緊張関係にあったのではなく、たとえあったとしても「低位に従属させられていた」と見るべきではないか。内部者の「批判の視座や方向」は、事件後に第三者が分析・検証するときの「批判の視座や方向」とは大いに異なったものになっていたのだ。

 確かに日常的で普通の感覚で「おかしいと気づく」ことはできるが、それらの断片的な気づきや認識はその個人や集団にとって「支配的な世界観とストーリー」に照合して整合性を与えられるため、はじかれたり、抑圧されたり、忘却させられたりするのではなかろうか。むしろそれほど意識的ではないにせよ、恣意的な操作をしながら自分(たち)の「世界観の安定・維持」を図るのであり、そのため安定・維持を損なう気づきや認識は排除されることになるのではなかろうか。

 視点3《宗教学と宗教学者》

 オウム真理教が事件を起こす前、教団がメディアにも取り上げられ始めていた頃、何人かの宗教学者から“持ち上げられた”、という事実があり、地下鉄サリン事件が起こってからそれらの宗教学者たちの「道義的責任」が問われた。そのような批判を展開したのが(メディアには殆ど無名であった)大田俊寛であった。大田が特に批判したのが中沢新一であり、また島田裕巳であった。

 以下大田が自身のウェブサイトでまとめているツイート(ネットSNSの一種でTwitterと呼ばれる発信メディアのメッセージ)から引用するが、大田の自著『オウム真理教の精神史』に寄せられた(ソコツさんという方の)批評・批判に答えているものである。その中でオウム真理教を「宗教学」の研究対象として「参与観察」する限界と問題性と、それを実践した中沢や島田がオウムを“持ち上げる”に至った誤りを指摘している。

ソコツさんが「できる限りの資料収集」ということで何を意味しているのか分からないが、オウムを分析するのに必要十分な資料はすでに揃っており、序章で述べたように、その多くについては私自身も目を通している。また、島田裕巳氏の『オウム』では、そうした資料に基づく考察が展開されている。
むしろ私が主張しているのは、オウムの実態に密着するだけの考察では、「なぜオウムのような宗教がでてきたのか」という根本的な問いには答えられない、ということである。そのため私は、あえて直接的にオウムについて論じず、二〇〇年近く歴史を遡るという、思想史的アプローチを採用した。
そして『オウム真理教の精神史』では、そのようなアプローチに基づき、上述の問いに対する答えを提示している(特に275頁以下)。しかしその妥当性についてはコメントせず、この問いに答えるにはもっとオウムの実態を・・・と批判するのは、本書の趣旨を理解し損ねていると言わざるを得ない。

オウム事件の実態をある程度知っていれば、こうした批判はまったく正反対であることが分かる。実は当時、オウムをフィールドワークの対象として選んだ人類学者(坂元新之輔という戸籍技術史の研究者)がいたが、彼はオウムの修行や世界観に次第に魅了され、その強力な擁護者になってしまった。
また当時の宗教学では、「潜り込み」と呼ばれる強引な参与観察の手法が横行しており、オウムを擁護した中沢新一や島田裕巳は、ともにその実践者であった。そして彼らは、チベット密教の修行やヤマギシ会における自らの体験を踏まえ、オウムの活動を肯定的に評価することになった。

むしろ、オウム事件からわれわれが汲むべき教訓は、きちんとした学問的知識や理論、ディシプリンを習得する以前に盲目的に行われる「フィールドワーク」や「潜り込み」は、特に宗教団体を対象とする場合には、きわめて危険であるということではないだろうか。
以上のように私には、ソコツさんの批判はどれも的を外していると思われるが、本書に対してこうした批判が提起される理由も、実はよく分かる。というのは、95年以前、宗教学者や文化人がどのような理由や仕方でオウムを評価したのかということが、今ではよく分からなくなっているからである。
私は、麻原彰晃と中沢新一や島田裕巳の対談を読み、その内容に強い印象を受けるとともに、オウム問題が日本の宗教学にとって根深いものであることを理解した。しかしながらこれらの資料は、現在では多くの人が読むことのできるような状況にはなっていない。
やはりオウム問題は、多くの宗教学者にとって、できるだけ振り返りたくない、一刻も早く忘れ去りたい対象なのだろう。今回の私のオウム論も、他の宗教学者からの応答はあまり期待できないと考えられる。その意味では、迅速にレビューを寄せてくれたソコツさんに、あらためて感謝したい。/終

次に引用するツイートは、今引用したツイートの中で言及されていた「宗教学の問題」をより具体的端的に、戦後東大宗教学をリードした柳川教授に遡って総括するものである。大田はこのツイートで柳川の学問的手法の限界と脆弱性を指摘し、門下であった中沢や島田の問題の背景として解説している。少し長いがその方が分かりやすいと思うのでそのまま引用する。

そして私の見るところでは、柳川は宗教を、「聖なるものを体験すること」というように、心理主義的に理解してしまっている。その議論には、宗教を社会制度的に見る視点が欠落している。特に、近代の問題について具体的に言えば、「国家の聖性」を問う視点がまったく欠落しているのである。
むしろ、柳川とその弟子たちは当時、宗教学の課題を次のように考えていたのではないだろうか。「近代以前のさまざまな社会においては、宗教が生命力を保っており、そこで人々は、聖性に触れる場(イニシエーション)を維持していた。青年は、宗教を体験することによって成人になったのである。
★しかし近代社会では、世俗化によって宗教の力が減退し、人々は聖性に触れることができなくなっている。ゆえに宗教学は、それがどれほど周縁的なものであっても、未だ活気を保っている宗教を社会のなかから探し出し、ゲリラ的実践によってその活力を社会に伝えるよう努めるべきである」。
「聖性に触れよ」という柳川の扇動に促され、その弟子たちは、カルトを含むさまざまな宗教集団への「もぐり込み」を実践した。中沢新一がチベット密教の世界に飛び込み島田裕巳が山岸会に参画したように。そして、そこから帰ってきた彼らを待ち受けていたのは、オウム真理教という存在であった。
地下鉄サリン事件以前、島田裕巳がオウムを積極的に肯定していたことは広く知られているが、それがもっとも顕著に表れているのは、島田と麻原彰晃の対談においてである。その内容は、『自己を超えて神となれ!』という書籍のなかに、「現代における宗教の存在意義」というタイトルで収録されている。
9111月に行われたこの対談において、島田は、幸福の科学をおかしな宗教として揶揄的に論難する一方、オウムに対しては、既成の仏教が現代の物質的価値観に染め上げられるなか、オウムは現世からの離脱やそれへの抵抗を示しているという点から、肯定的な評価を与えている
また島田は、自分がかつて山岸会に参画した経験があることから、俗世間を捨てて共産的ユートピアを建設したいという気持ちが理解できると語り、同時に現代社会では、若者が大人になるための契機、すなわちイニシエーションが欠けているため、オウムはそれを与えようとしているのではないかと論じる。
若者があるとき精神的な「師」に出会い、彼から「聖なる試練(イニシエーション)」を課せられ、それを乗り越えることによって大人になること──。要するに、表面的に見ればオウム真理教は、島田が柳川宗教学から学び取ったものにきわめて忠実に沿う存在だったのである。
★同じく柳川の弟子であった中沢新一は、麻原彰晃との対談において、日本社会に「聖なる狂気」をもたらすものであるとしてオウムを礼賛したが、その基本的なロジックは、島田裕巳のそれと同一であると見なければならないだろう。
★東京大学の宗教学研究室に在籍していた一員として私が思うのは、われわれにとってオウム事件を総括することとは、かつて柳川によって打ち出され、研究室を支配した特殊なエートスを反省することでなければならないということである。しかし、そうした作業に真摯に着手した人間は、まだ一人もいない。
私自身は、1990年に亡くなった柳川の謦咳に触れたことは一度もなく、柳川を中心とした宗教学研究室の雰囲気がどのようなものであったかについては、 残された書物から想像するしかない。しかし、私の考える限りで、特に反省・修正するべきと思われる事柄は、以下の三点である。
1)「師」を盲目的に崇拝しないこと。これについては以前にも少し書いたことがあるが・・・、宗教学に限らず、現在の日本のアカデミズムは、奇妙の形態の「グルイズム」が至る所に蔓延する世界である。
多くの研究者は、自身の学問上の師や、研究対象の人物を神のように祭り上げ、しばしば「疑似カルト」の様相を呈している。マルクス教、ニーチェ教、柳川教、中沢教と、数えれば切りがない。研究者がオウムを適切に批判できなかったのは、学問の世界がすでにカルト化していたからではないだろうか。
★若者が精神的な「師」に出会い、学びの心を触発されると言えば聞こえは良いが、むしろ日本的風土において往々にして見られるのは、必要な相互批判を欠いた「師弟の癒着」の構造である。こうした構造は実は、学問の着実な発展を大きく阻害してきたのではないだろうか。
(残る二点は省略)

宗教学者の大田は自著『オウム真理教の精神史』でも「近代という時代相における宗教」としてオウム真理教を200年ほどのスパンの「思想史」のフレームで分析しているが、(心理主義的宗教学アプローチに対して)制度主義的宗教学を提唱しそれと合わせて「宗教学の学問的基盤」構築を訴えている。(現実にはその欠如ゆえ今後の構築が課題としている。)筆者は、宗教学の学問としての未熟性を自覚しながらオウム真理教の問題を論じる大田に今後の宗教学の展開を期待したいと思っている。

 視点4《物語りと世界観》

 視点2《内部者の視点と批判》でも少し言及した村上春樹だが、彼が『アンダーグラウンド』(地下鉄サリン事件の被害者たちからの聞き取りを本にしたもの)で提示したように、この問題があらわにしたのは、基本的に「世界観やストーリー」を必要とする人間、という認識ではないかと思う。ゆえにオウム(それに類する社会的リスク)に対抗するためには、破壊的・自滅的なストーリーに対抗する「健全なストーリー」を日常生活を足場にして構築することではないか。村上が『アンダーグラウンド』で試みたのは、事件の被害者たちのストーリーを聞き取りながら、彼らと彼らの家族や職場の人間関係を背景として、彼らの日常生活を織りなすエピソードの中から立ち上がるストーリーを組み上げ、それを「オウム」と対抗させることではなかったか。

 以上のことは実は村上自身が書いていることの受け売りなのだが、多分に説得的な文章なので長くなるがそのまま以下に引用する。

その文章の中で僕が言いたかったのは、地下鉄サリン事件とは、彼らのナラティブと、我々のナラティブの闘いであったの だということです。彼らのナラティブはカルト・ナラティブです。それは強固に設立されたナラティブであり、局地的には強い説得性を持っています。それゆえに多くの知的な若者たちがそのカルトに引き寄せられました。彼らは美しい精神の王国の存在を信じました。そして彼らは我々の暮らす、矛盾に満ちて便宜的な社会を攻撃しました。彼らの目からすれば、それは堕落したシステムであり、破壊すべきものだった。だから彼らは地下鉄を攻撃しました。騒擾(そうじょう)を引き起こすために。彼らは自分たちに与えられたそのナラティブを強く信じていたからです。彼らは自分たちのそのようなナラティブが絶対的に正しく、他のナラティブは間違っており、堕落しており、破壊されるべきものだと思い込まされていました。

 たしかに我々自身、この便宜的で堕落した社会に暮らしている我々自身、ここにあるナラティブは間違っているのではないかと考えることもあります。でも我々には他に選びようもないのです。デモクラシーやら、結婚制度やらにうんざりすることがあったとしても、なんとも仕方ありません。それでなんとかやっていくしかない。もちろんそれらはぜんぜん完璧ではなく、多くの矛盾に満ちているけれど、それらはとにかく歳月をかけて、それなりのテストを受けてきたものです。それが我々の手にしているナラティブです。

 僕は多くの人にインタヴューをすることによって、それらの「普通のナラティブ」を地道に採集していたのだと思います。現実にそこにある、リアルなナラティブを。それらは決して見栄えの良いナラティブではありません。しかし本物のナラティブです。そして僕はそれを『アンダーグラウンド』という本の中にまとめました。そしてその本が刊行されたあとで、教団信者の人々にインタヴューを試みました。彼らは能弁で、進んでいろんなことを語ってくれました。頭もいいし、知的な人々です。いわゆる「一般の人」よりは興味深くもあります。でも彼らがどんなことを語ったのか、僕には今ではよく思い出せません。彼らの話には多くの場合奥行きのようなものがなく、皮相的だった。ちょっと強い風が吹いたら、みんなどこかに飛んでいってしまいそうに思えました。でもいわゆる「一般の人」が話してくれた物語は、きちんとあとに残るんです。そこには本物の重みがあり、本物の中身があります。その話は知的でないかもしれないし、聡明とは言えないかもしれない。ある時には退屈かもしれない。でもそれはちゃんとあとに残るんです。全部で六十人以上の人々にインタヴューをしたあとで、僕はそのことに気づきました。 彼らの話しはどれも、僕の心に、頭に、魂に残っています。僕がその経験から学んだことは、物語というのは、たとえ見栄えが悪く、スマートでなくても、もしそれが正直で強いものであれば、きちんとあとまで残るのだということでした。
(『夢を見るために 毎朝僕は 目覚めるのです』村上春樹インタヴュー集1997-2011362-363ページ)

 地下鉄サリン事件のようなテロ再発防止には、事件を企てたオウム真理教首謀者たちの動機を解明しそこから何らかの教訓を引き出すことや、破防法等による危険宗教団体の監視・規制を強化する、そういうレベルの対策もある。しかしそれだけでは足らない、と村上は指摘しているのだろう。村上の指摘には、オウム真理教団を「他者」として排除するだけでは解決にはならず、オウムを生んだ社会自体の脆弱性にこそ目を向けるべきだ、という洞察があるように思われる。
 
終わりに

 以上ここ3年ほどに書き溜めた「オウム真理教ノート」を4つの視点、ということでまとめてみた。

 《科学と宗教》《内部者の視点と批判》《宗教学と宗教学者》《物語りと世界観》のどれもそれぞれ有効な視点である。筆者としては特に第4の視点《物語りと世界観》に関心が深い。2015年はイスラム過激派テロ事件が幾つも起こり、特にイスラム国が「終末思想」を前面に出してグローバル・ジハードを推し進めていることが西側諸国にも自覚されるようになった。テロリストたちの「思想・イデオロギー」の側面が果たして単に取って付けたような性格のものなのか、それとも自作自演の舞台を世界大に広げて西側諸国を巻き込もうとしているのか。なかなか分析に難しい情況を呈している。いずれにしても、イスラム国の展開する戦略はオウム真理教と重なる部分がありそうだ。宗教はイスラムだが、大きなパラダイムはオウムと同じく「近代と宗教」と捉えることができるのではないかと思う。

 「N.T.ライト読書会」を主宰する筆者としては、ライトの西洋キリスト教批判、「創造から新創造」というフレームで行う原始キリスト教再解釈に注目してきたし今後も注目して行く。しかし同時に「神の国」を標榜する大小さまざまな宗教的源泉を持つ過激なそしてしばしば暴力的な運動が乱立する現状では、「神の国」の福音を打ち出すキリスト教会はその福音が持つ政治的コノテーション(含意)に自覚的でなければならないだろう。また雨後の筍然新興宗教がカルト化しては消えて行く「現代」の諸相にも注目していかなければならないと思う。村上の指摘が当を得ているとすれば、陳腐な救済ボキャビュラリーを反復したり、戯画を見るようなユートピアン「天国」を福音の中心に据えるようなメッセージはやわなキリスト教再解釈運動として見捨てられるだろう。そんなことに現を抜かすより「終わりなき日常」に耐えるための地道な実践の取組みや日常に足場を置く物語りを紡ぎだすことに時間とエネルギーを向けるだろう。

 そのような現代的文脈を睨みながら今後も「オウム真理教ノート」を継続するとともに、「イスラム過激派と終末・黙示思想」(そしてカルト問題)とも関連させながらウォッチしていこうと考えている。

2016年2月5日金曜日

IAリサーチ・ノート 2016/02/05

イスラム過激派とアポカリプティック思想
 
というテーマでの素人の リサーチ・ノートを公開する・・・というわけですが、なかなかねー更新してなかった。

でも何もしていなかったわけではなく、逆にあっちゃこっちゃ拡散気味で収拾がつかない(とまではいっていないが)ので止めておいたところでした。

日本語のものでは、
池内 恵 『イスラーム国の衝撃
中田 考 『イスラーム 生と死と聖戦
を読了した。

イスラーム過激派の動向については池内の本の方が詳しいが、まずは中田の本で押さえている「イスラームという宗教」の基本的ポイントのいくつかを以下に引用で紹介する。

(1)イスラーム聖職者
 彼らの多くはイスラーム法学者で、法解釈について権威ある見解を出すことはできますが、神の法を新たにもたらしたり、いまある法を変えることはできません。それができるのは預言者だけで、イスラームではムハンマドが最後の預言者であるとされていますから、基本的には法改正はありえません。(143-4)
(2)カリフ制再興と「終末」のシナリオ
ただ結局、私の考えというかイスラームの世界観でもあるのですが、最後の審判がくるまで世界は完全なイスラーム化はしません。だからカリフ制が復興された地域に住む人間もいれば、その外ではグローバル資本主義を進めようとする勢力もいて、最後まで残ると思います。
 その両者の対立をできるだけ物理的な戦争にしないようなかたちで共存させるのが、私の望む世界なのです。戦争をしてしまうと、どちらも当然滅びますから。(184)
(3)イスラームが唯一正義を実現する宗教
 私にとっては非常に単純な話なのですが、人間が人間を支配するのはいけない。国家も民族も、人間が人間を支配するという不正を隠蔽するヴェールにすぎない。それをはっきり言える一神教はイスラームしかない。イスラームしかないと言っているのが私しかいないのが困ったことなのですが、本来、イスラームの学者はみんなそう言うべきなのです。(196)
(4)カリフ制再興の目的
  国家権力と金の力、これが現代の偶像神であり、こうした偶像崇拝を打破して、本来のダール・アル=イスラームを回復する。そのためのカリフ制再興であり、それはひいては国家と企業の連合体が推進するグローバル化に対抗する、もうひとつのグローバルな連帯の形成にも役立つ、というのが私の主張です。(202-3)

とまあ、先ずはこんなところでしょうか。