2014年5月28日水曜日

ダイアリー 2014/5/28

もうちょっとまとまった形で情報提供できたらよいのですが、現状では余力がなく思いつくままに、と言うことで「ダイアリー」形式を取っています。

《世俗化》

「ダイアリー 2014/5/24」でユルゲン・ハーバーマスを紹介しました。

一旦は「世俗化が完了した近代国家・社会の枠組み」で宗教を計算外にしていたハーバーマスが、近年(1985年くらいを境に)意欲的に「宗教を現代社会理論と政治の舞台での役者としている」かを示すのが、ポスト世俗化時代の哲学と宗教ですね。
前教皇ベネディクト一六世との討論です。

欧米圏における、18世紀啓蒙主義以降の「世俗化」とは、政治を含めた社会における「教会」の権威の縮小(市民社会及び個人の教会的権威からの自立)であり、政教分離を通して宗教が相対的に影響力を失い、その感化の範囲も「個人の内心」に限定されてくる過程を指します。

この歴史過程をある程度決定論的に見る人たちが考える「世俗化」とは、即ち科学思考が浸透すればやがて宗教は必要なくなり消滅する、と言う見方でした。

このような欧米知識人の間で支配的な「世俗化」論に対し、「それは実際とは異なるだろう」と挑戦したのが、2007年テンプルトン賞、2008年に京都賞(稲盛財団)、を受賞したカナダ人のチャールズ・テイラーです。


彼のA Secular Age(『世俗の時代』未邦訳)が2007年に出版されて以来、多方面で彼のテーゼと分析が議論されています。

(このブログとは直接関連させていませんが)既に「ツイッター(@yamakoete)」でご紹介した、

です。

《無神論》

(合理主義的、科学主義的知識人にとっては常識とも言える)「一方的な世俗化」論は無神論者の観測でもあったのですが、予想に反して宗教と言う迷妄がなかなか表舞台から退場しないのに業を煮やしている無神論者の一人が、英国の代表的無神論者のリチャード・ドーキンス氏です。


しかしこんなに平然と「宗教は幻想(ハルシネーション)だ。自分はそんなものには用はない。」と言い切っているドーキンス氏ですが、 最近の新聞記事では
“I would describe myself as a secular Christian in the same sense as secular Jews have a feeling for nostalgia and ceremonies,” said Dawkins. (リンク)
とのこと。
「世俗のキリスト者」とは、「一方的な世俗化」論者にとっては論理矛盾のはずですが・・・。

そこが宗教・信仰の面白いところです。
そんな簡単に割り切れません。

※ A Secular Age(『世俗の時代』)は多分どこかが邦訳を進めているのではないかと思います。

2014年5月24日土曜日

ダイアリー 2014/5/24

一つの記事にするまでには至らない/纏まらないものを「メモ代わり」に投稿するため『ダイアリー』と言うカテゴリーを作ります。


どんな宗教集団もその歴史的、社会的文脈との関わりの中で生きていきます。

社会が変動すれぱ、その中にいる宗教集団も影響を受けます。

逆に変化する社会に対して、自己の価値観や視点から、社会へ働きかける、ということもあります。

「宗教と社会」をテーマにするこのブログは、両方の視点(「消極的」対「積極的」、「受動的」対「能動的」)から問題、課題を取り上げて行きたいと思います。

《最近読んでいる本》
戦後のドイツの指導的哲学者・知識人、ユルゲン・ハーバーマスの
An Awareness of What is Missing: Faith and Reason in a Post-secular Age
ユルゲン・ハーバーマスは、フランクフルト学派のクリティカル理論から「近代化の諸相」を鋭く総合的に分析して現代の問題の所在とその処方箋を提示する人物です。

小嶋がGraduate Theological Union博士課程(宗教と社会、現在は倫理学と社会理論)で研鑽していた時(1980年代前半)は、ハーバーマスは「(一方的)世俗化」論を前提にして議論していたので、どうやって宗教の位置を彼の分析に繋ぎ止めるか苦心したことを覚えている。

しかしこの本を読むと1985年頃から、ハーバーマスは次第にグローバル化する現代社会における宗教の役割は無視できないこと認め、むしろ如何に『市民社会・公共圏』への参加を設定するか議論を深める方向に舵を取った。その過程をこの本から垣間見ることができる。

所謂、カルトの扱いについて 
知人の関連する組織に「新天地」と名乗る団体が施設使用交渉にやってきたそうだ。
すぐ調べたら、どうもカルトっぽい団体らしきことが判明、即お断りしたそうだ。
週刊文春WEB記事

日本ではキリスト教界が特定キリスト教異端団体を名指しで、「○○団体とは一切関係ありません」式に「お断り」対応で済ましてきているが、そのようなやり方は最早「ほおかむり」なのではなかろうか。

一般啓蒙のためにはもっと積極的な情報開拓・提示が必要なのではなかろうか。

かといって「○○ウォッチ」式の監視機構みたいなのも危険を煽るだけのセンセーショナリズムに堕す可能性もあるから、難しいなー。

などと言っておれないが・・・。 
将来的にはこのサイトでも小さな窓口を設定できればいいが。
 
《『よそ者』の効用》
規制宗教団体が伸び悩んでいることはよく囁かれる。

大半の当事者たる宗教団体は、模様眺めだったり、諦観だったりしがちだが、一方で何とか現状を打破しようと戦略を練り、仕掛ける「メディア」系の人もいる。

キリスト教・プロテスタント系だと、キリスト新聞社・ミニストリー編集長、まっちゃんこと松谷さんだ。


彼のフェイスブック友達つながりで、仏教界で『よそ者』役を買って出ている方に、堀内克彦さんという方がおられるようだ。
宿坊研究会
代表で、同名ブログを運営されている。


多分いい意味での「お節介」さんだろう。

自分たち集団内の発想では殻を破れないところを、『よそ者』の視点からそれを助けてくれるような方なのだろう。

キリスト教系では、「教会オタク」としてそんな役割を買って出てくれる八木谷涼子さんのような方もおられる。

複雑化する社会、胡散臭く捉えられがちな「宗教団体」にとって願ってもないサポーターのような方々ではないかと思うのだ。

2014年5月19日月曜日

世界の宗教 知っ得 1

今年秋から始めようとしている共同学習会のテーマの一つは
簡単な「世界の宗教」入門
であることをお知らせしました。

世界は「グローバル化」している、とよく言われますが、それほど一本調子でグローバル化しているかと言うとそれほどでも・・・とも言いたい感じです。

と言うのも「ナザレのイエス」を歴史的に学ぼうと思えば、既にガリラヤの村である「ナザレ」でさえすぐ近くには、ローマ皇帝ティベリウスにちなんだ「ティベリア」 と言う町があり、当時のユダヤは政治も文化もギリシャやローマの影響下にありました。

既に「他文化状況」はあったわけです。

でも資本主義がどんどん進み、私たちを取り巻く経済世界が増々グローバルな状況になったのは間違いないと思います。

そんな状況下では「世界の宗教」を一般知識として持っておくことが必要になります。

その一例である実話をちょっとご紹介してみましょう。

Aさんは重電気関連の外資系企業に勤めていました。
度々海外出張で外国に出かけたのですが、中にはイスラム圏の国がありました。

ビザを申請する段になって、自分の宗教を申告する欄がありましたが、「無宗教」と言う選択肢はありませんでした。

イスラム圏の国では「無宗教」と言うカテゴリーはないのですね。
Aさんは事実とは違うと思いながら、「仏教」だか「神道」を選んだようです。

また別なイスラム圏の国に言った時は、帰りの飛行機に乗る時あるお土産を持たされました。
機中で時間があるでしょうから読みなさい、と手渡されたのは「コーラン」だったそうです。

またイスラムの戒律が厳しい国に行った時、こんなことがあったそうです。

イスラムが徹底している国では、外国人や観光客などは居住地区がくっきり分けられているのだそうですが、たまたま入ったスーパーマーケットで、つい一服していたら、かなり離れた場所で誰か大声でがなりたてているのに気がつきました。

Aさんは最初何だろうと事態が飲み込めませんでした。

そうしたら近くにいた外国人の人が「ラマダン最中は外国人でも人前でタバコは禁物だ」と教えてくれたそうです。

Aさんはラマダンの戒律がそこまで厳しいものとは知らず大変驚いたそうです。


イスラム圏の国には戒律の厳しい国とそれほどでもない国など必ずしも一律ではないようです。

しかし日本においてもお相撲さんの中には大砂嵐のようにエジプト出身の関取が出てきました。
彼は場所中もラマダンに則って日中はを断じたようですが、 これも解釈によっては適宜対応の仕方があるようです。

てなわけで私たちの周りにも「世界の宗教 知っ得」状況は段々日常的になりつつあるのかもしれませんよ。

2014年5月15日木曜日

共同学習会への勧誘 1

大分迷ったが諸般の事情で、宗教と社会についての「共同学習会」の開始を2014年秋からに延期することにした。

諸般の事情と言っても別に大したものがあるわけではなく、準備と言うかタイミングの問題なのだが・・・。

共同学習会では当面二つのテーマを用意している。

(1)簡単な「世界の宗教」入門
グローバル化が進む時代、何かのきっかけで「世界の宗教」と不意にコンタクトすることもある。
そんな時に備えて「常識」「一般教養」程度には「世界の宗教」について知っていたいものだ。
特にビジネス界で世界を相手に活躍している人などにはお勧め。

(2)宗教の「今」
現代の文脈で捉える「宗教」の問題やありよう。
もちろん日本を中心に概観していくことになる。
現代(日本)社会に「宗教」はどのような役割を果たしているのか。
あるいは上手くマッチングできずに現代社会から取り残されていないか。

そんな二つの切り口で宗教と社会を扱ってみたい。


次回、先ずは「世界の宗教」を「知っ得」理由について、ある方の実体験を基にレポートする。

2014年5月1日木曜日

中国でキリスト教が勢力拡大している

つい先日、2030年には中国が世界最大のキリスト教国になるのではないか、との推測が記事となってメディアに流れた。

例えばハッフィントン日本
パデュー大学で社会学を研究するフェンガン・ヤン(楊鳳岡)教授は、中国のキリスト教信者数は将来アメリカを抜き、世界最大のキリスト教人口を抱える国になると推測している。
ヤン教授は、イギリス紙・テレグラフの記事でこう述べている。
このフェンガン・ヤン(楊鳳岡)教授と言うのがどうも中国のキリスト教情勢を世界に伝える主要な人物となっているようだ。

ヤン教授は、Religion in China: Survival and Revival under Communist Rule
と言う本(オックスフォード大学出版会、2011年)を著している。



上の記事にもあるように、現在北米パーデュー大学のCenter on Religion and Chinese Society
を通して中国のキリスト教情勢を発信している。

英語圏ジャーナリズムはどうもこのヤン教授に大分依存しているようだ。

共産党政権監視の下、「どのように中国でキリスト教が勢力を伸ばせるのか」、と言う問いにヤン教授は国内に2000店あるマクドナルドが、言わばアウトレットとなっているとこの動画で説明している。



暫くヤン教授から目を離せないだろう。